エホバの証人とものみの塔の乖離
- 2016/04/13
- 15:13
4月13日,水曜日
血……を避けてい[なさい]。―使徒 15:29。
わたしたちは皆,突然に血の問題に直面することがあります。家族や仲間のクリスチャンが,輸血を受け入れるか受け入れないかの決定を迫られることもあるでしょう。そうした危機的な状況で,血液分画や医療処置に関する決定を下さなければならないかもしれません。ですから,緊急事態を意識して,調査し,準備をしておくのは非常に重要なことです。そのような方法を講じ,エホバに祈るのは,この問題について妥協せずに確固とした立場を取る助けになります。わたしたちは,聖書で非とされている事柄を受け入れてエホバを悲しませるようなことは,決してしたくありません。今日,医療関係者をはじめ多くの人たちが,命を救おうとして献血を呼びかけています。しかし,エホバの聖なる民は,血の用い方を定める権利は創造者にあることを認めます。創造者にとって,「いかなるものであれ血」は神聖なのです。(レビ 17:10)ですから,わたしたちは血に関する神の律法に従うことを固く決意すべきです。塔14 11/15 2:10,15
ものみの塔はこう書く。
しかし、ラッセルさんはじめ、エホバの証人はこのように判断したのか?
今もそのように完全に思っている人が多いかは甚だ疑問だ。
だいたい、血を避けなさいというのは、完全に武器をとるなということだという意味に解することは簡単だが。
医療用に使う血が神聖でないというのは、甚だ人間の体や血に対する冒とくではなかろうか。
神が人間の身体および血をおつくりになったのなら、医療用に使うのは、本当に神聖だろう。
だから、ものみの塔のいうとおりではなく、各人が考えて、そのうえで意思決定せざるをえないのではなかろうか。仮に殉教したとしても、偽りの組織のもとの殉教ならば、全く意味がないものになってしまう。
人間的な組織だからこそ、ラッセルさんのいったこと、ノアさんの言ったこと、その違いなどじっくり考えないといけないと思う。そのうえで、個人個人がどちらにつくか、決定せざるをえないだろう。