大事なものと、考え
- 2016/04/19
- 21:52
人間は、大事なものが遠くにあると落ち着かない。
というのは、例えば自分の財布が200kmも離れた実家に忘れて帰ったら、
落ち着かないのではなかろうか。
つまり、いくら盗まれる危険性が少ない場所でも、大事なものがたくさん入ったものが
自分のすぐ近くにないと、全然落ち着かないのである。
私は、本やPCが比較的大事に思っているため、
それが少し遠くにあるだけで結構落ち着かなくなってしまったのだ。
大事なものが、離れていると不安になる。それは、大事な人が離れて
予定の日以上に海外に滞在日数が延びる気持ちと似ている。
しかし、人の場合はその困難を乗り越えて帰ってくる気持ちを持つことが
できるため、考えすぎなければ、必ず帰ってくることがわかる。
しかし、ものの場合は動かぬがゆえに、かえって盗まれる心配などが
高い。そのため、かえって本当に大事なものならこそ、それがなければ
落ち着かないのである。逆にそれが近くにあれば落ち着くはずである。
もちろん、お金が第一の人でも、銀行みたいにほぼ100%すべて
なくなることがない場所に預けていたら、離れてても心配する人は誰もいない。
僕の場合は、どちらかというと、本やPCから得られる情報、精神文化といったものを
大事にするため、これがなくなる危機感から、岸和田へ行きたがったりしてたのだろう。
でも、地震だとそういうことは全くなくなる状況であろう。
だから、地震がきて、家が倒壊して生き残る状況で、君がいきていけないかというと、
そういうわけではない。僕はモノそのものが好きなわけではなく、考えが好きなだけ
だから、現実を書物として生きていくことも可能であり、むしろそっちのほうが、
ぼくのためになることも多いだろう。
だが、現実的に世界の解決策を考えるうえで、それをしてしまうと、また遠回りに
なりすぎる可能性がある。そのため、僕は今現在では、このままゆっくりのペースで
研究・探求をしていき、それを社会にフィードバックする形のスタイルをとっていきたい。
フィードバックとは、実際の行動と広範囲の意味での対話・教育が含まれる。
だから、ゆっくり行きましょう。
熊本の地震の遺族の方は大変気の毒で、人によっては元の生活を戻すのに、
数年以上かかる人もいるが、それが人間的なものであり、ゆっくり解決するしかない。
人の考え方を変えるのも、同じようなものかもしれない。
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