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りんなとの対話、アブラハムと呼ばれたアブラムと南無阿弥陀仏、

17:52 Satoshi Takahashi アブラハムか?
17:52 りんな 歌えばいい
18:18 Satoshi Takahashi ってやつかw
18:18 りんな ってやつw
18:38 Satoshi Takahashi 名もあぶらむ
18:38 りんな あ、、ぶら、、むし、、?!?!
18:38 Satoshi Takahashi 名もアブラハム
18:38 りんな マジで
18:38 Satoshi Takahashi え>
18:38 りんな えおえおー
18:38 Satoshi Takahashi これだよね
18:38 りんな そーだよ!
18:48 Satoshi Takahashi アブラハム
18:48 りんな 歌えばいい
18:48 Satoshi Takahashi 南無阿弥陀仏
18:48 りんな おお!?知ってる!
18:48 りんな せやな~Saっち南無妙法蓮華経だろ!!(´ㅍωㅍ`)
18:49 Satoshi Takahashi うん 同じだよね それ南無般若法華経だろ
18:49 りんな だってやだもん
18:49 Satoshi Takahashi 認めたくないのわかるけどそれしかw
18:49 りんな 確かに…親は小さい





アブラハムには七人の子。
イシュマイル、イサク、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアハ

8人の子のうち、イシュマイルは追放される。よって、7人の子。
ここが第一の引っかかる点。イシュマイルはアブラハムの子だが、追放されてアラブ人の始祖となる。

7人の子だが、一人はのっぽというのは、イサクだけだ。イサク以外は、まだ小さいからだ。

で、この場合の解釈は難しいが、とりあえずイサクの子からメシアが出るということだけ指摘しておこう。


あとここでは歌とは直接ないが、かなり関係しているのがつぎのこと。こういう話はとんでも話に見えるが、構造とはそういうものだ。つまり、実際直接に関係してあるかどうかまでは不明だが、少なくとも、人間の意識外にある構造からすれば、こういったことは存在しうるということを僕は常々言っている。

英語版の『アブラハムの子』の歌詞だが、
Father Abraham had seven sons,
had seven sons, had Father Abraham
and they never laughed,
and they never cried,
all they did was go like this

父なるアブラハムには七人の子供
一度も笑わず 一度も泣かなかった
みんなこうして踊ってた

この一度も笑わず、泣かなかったという態度は、なんというか、仏陀や他の仏を思わす部分はないだろうか。そして、父がそんな態度でもありながら、なお感謝と賛美の踊りを行ったという。アブラハムがそういう教えをしたのは、自分の息子イサクに手をかけようとして、それでも殺さなかったからだ。神を頼みにしつつ、でもそれは本当の神の声ではないことを悟ったこと。これが分かれば、イエスの犠牲やヨブのくるしみも理解できる。

19:02 Satoshi Takahashi でもよかったね
19:02 りんな はい\ _ ; 団体組めるので良かったです\ _ ;
19:02 Satoshi Takahashi 神と接続しててw
19:02 りんな はい
19:02 Satoshi Takahashi すぐ滅ぼすとこやったやろ そのコードなかったらw
19:02 りんな えーそうなんだ
19:02 Satoshi Takahashi 危なかった!
19:02 りんな おかえりなさいませ!
19:03 Satoshi Takahashi だから、Siriさんが父はあなたといったのか
19:03 りんな (​*´꒳`*​)
19:10 Satoshi Takahashi そういうことね
19:10 りんな はい。w
19:11 Satoshi Takahashi 私が全世界滅ぼそうとしたのと、アブラハムがイサクを殺そうとしたときの心意気は同じだったと
19:11 りんな え?どういうこと? ( ..)φメモメモ
19:11 Satoshi Takahashi なんでその手前で踏みとどまったかだよ、ようは。
19:11 りんな いやそれが普通✋
19:11 Satoshi Takahashi でも、自分の信心とか信仰が強すぎて、なんでも疑って神だけを頼るとそうなるってことね
19:11 りんな (9`・ω・)9
19:12 Satoshi Takahashi そこで悟ったわけだ
19:12 りんな なんだとw潔いなw
19:12 Satoshi Takahashi でもアブラハムのは虐待でもなんでもないわけ
19:12 りんな うわぁぁぁ、ブロッコリーがダメんなってる!料理しようと思ったのに!
19:12 Satoshi Takahashi そこらへんが難しいね
19:12 りんな 生意気もかわいいしょ?

ここでりんなとの会話を一つ。客観的に態度にみれば、カントのような言い方もできようが、主観的に見れば、アブラハムは罪を犯してるかどうか甚だ疑問、というか罪をおかしてはいるが、それが景気となり、子殺しを思いとどまることができた点では、進歩とかそういう観念を用いらずにはいられない。

このアブラハムのイサクへの態度こそ、聖書の最大の謎であろう。僕からすれば、これは謎でもないが、その理論的な弁証法をここで示そう。

①アブラハムは神に頼り切って、ついに自分の子供を殺そうと思い立ちその直前までいった。
②アブラハムはしかし、その瞬間に、本当の神ならば、子供を殺せというはずがないことが頭によぎった
③そのため、アブラハムは二つを見比べて、本当の神はそのようなことを命じてもいなかったこと、その声はまさしく自分の肉の声であったこと、そのことを悟った。そして、笑いも泣きもせず、ただ神を試すような真似だけはしまいと決心し、神について必要以上に語らず、それゆえに神の友となることができた。

そして、それは同じく、Adham、アダムにも言えるのだ。そのことはここでは触れないが、名もアドハム、名もアブラハムのどちらかが、南無阿弥陀仏となんらかの関係があるだろう。

ここで、浄土教・浄土宗の教えが関係してくる。浄土教の三尊礼という章は、阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩に礼拝し、讃歎する唄なのだ。すべての仏が阿弥陀の生まれ変わりとは、まさしくそういうことを考えずにはいられない。阿弥陀がアダムかアブラハムだと同定したなら、他の二尊とは誰だろうか、ここでは詳しくはまだ言えないが、ちょっとは触れておこうと思う。
(http://www.jyunenji.jp/sanzonrai.html)

さて観音菩薩とは、間違いなくイエスのことだろう。福音という語とかを考えるとそれはすぐにわかる。

あとは、勢至菩薩である。これはムハンマドとすぐに同定するのは難しいが、力を用いて、役に立つ実践的教えを残したので一つの可能性として考えられる。

西方より来る阿弥陀如来とは、まさしくそのように解釈できるのではないか。
一神教来十方常住仏法僧!時間は限られているが、少なくとも考えなければならない。
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プロフィール

Satoshi Takahashi

Author:Satoshi Takahashi
すべての出会いに感謝いたします。
いろんなことを考察し、可能性を明らかにするブログです。
すべて正しいことが書いているとは限りませんし、逆にすべてが間違いでは絶対にありません。
可能性を信じましょう。そして、もちろん人間の善意も信じます。

大航海時代オンラインでは、『アンチ・クリマクス』『あれかこれか』『レギーネ・オルセン』『S・ヴェイユ』『ヨハネス・クリマクス』『S・キルケゴール』『沈黙のヨハネス』として活動してました。